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関子嶺温泉郷の散歩

更新しました:2021-02-18

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関子嶺温泉郷の散歩

情報

日数 1日ツアー

行楽シーズン オールシーズンズ

紹介

関子嶺風景区は温泉で有名な台南白河区の観光スポットです。日本統治時代から、陽明山、北投、四重渓温泉と並び4大名湯と呼ばれています。関子嶺温泉は泥温泉で、お湯につかると肌が明るくなめらかになることから、「天下第一霊泉」と称えられています。関子嶺では温泉のほか、老街や閑雲橋を散策したり、好漢坡などのスポットに挑戦したりすることができます。桶仔鶏(鶏のロースト)や甘い野菜料理を味わい、温泉とグルメで疲れを洗い流すことができます。また、一年に一度の関子嶺温泉美食フェスティバルでパレードと一緒に歩き、「火王爺山車巡行」に参加し、日本のお祭りのように賑やかな雰囲気を楽しむことができます。

ルート:嶺頂公園、大成殿→呉晋淮広場→二截湾の景観→温泉谷の景観→新好漢坡、旧好漢坡→宝泉露頭→閑雲橋→温泉老街→天梯

嶺頂公園、大成殿
嶺頂公園は、もともと日本統治時代のミニゴルフ場でした。土が盛られた洞穴、池の島、狭い橋などがある楽しいコースで、現在もなお園内でゴルフ場の遺物を見つけることができます。園内の嶺頂案内所は、日本統治時代の関子嶺神社があり、その後、大成殿(孔子祀)に改装された場所にあります。嶺頂案内所で日本風の浴衣をレンタルして嶺頂公園や大成殿で記念撮影するのもいいでしょう。
嶺頂公園
呉晋淮広場
呉晋淮氏は、台湾語の歌謡界における重要な音楽家です。当時、関子嶺温泉会館で作曲された「関子嶺之恋」は台湾語の名曲となり、関子嶺風景区の知名度向上に貢献しました。嶺頂公園の呉晋淮広場では、「関子嶺之恋」にちなんだ楽譜やインスタレーションアートを見ることができます。また、台湾本土への文化的な貢献を記念し、ギターを抱える呉晋淮氏の銅像が建てられています。

新好漢坡、旧好漢坡
旧好漢坡は日本統治時代、負傷兵のリハビリのために建設されたと伝わっています。もともと293段あり、日本人には「三百階」や「男の坂」と呼ばれていました。その後、道路の拡幅により、243段に変更されました。旧好漢坡を登ると直接嶺頂公園に行くことができますが、階段が険しいため、体調とご相談のうえ、チャレンジしてください。

新好漢坡は市政府により計画されたものです。温泉口がスタート地点で、関子嶺に来たら必ず訪れる道となっています。旧好漢坡の険しい階段よりも比較的安全で、気持ちよく散歩しながら関子嶺の美しさを観賞することができます。
新好漢坡
宝泉露頭
宝泉露頭は関子嶺泥温泉の源泉の一つで、1898年に日本軍により発見されました。その後、日本の技術者により、この地の泥温泉に治癒の効能があることが認められ、1920年に火王爺霊泉露頭と並んで「台湾第一温泉」と呼ばれるようになりました。宝泉露頭からは現在もなお泥温泉が湧き出ており、温泉湧出口の横にある宝泉橋や裏手にある温泉公園では、温泉特有の硫黄のにおいがします。木製の遊歩道に沿って歩くと、新好漢坡、閑雲橋などに通じます。散策や自分オリジナルの関子嶺旅行を計画するのに最適です。

*ご注意:温泉湧出口の横には保護柵が設置されており、立ち入り禁止となっています。

閑雲橋
閑雲橋は文人の詩にちなんでその名が付けられました。滾水渓に架けられた木の桟橋で、100年前は温泉の入り口に通じる重要な道でした。多くの詩人がここを通って温泉につかり、数々の名句や詩が生まれました。現在もなお、温泉老街に行く時に必ず通る橋となっています。ビジターセンターで日本風の浴衣をレンタルし、閑雲橋や周辺の景色を背景に写真を撮るのもいいでしょう。

温泉老街
閑雲橋を渡った場所にある通りは、100年前の関子嶺唯一の街道です。1920年の関子嶺にはすでに電灯の設備があり、通りは賑やかで当時の九份に匹敵するほど繁栄していました。現在の温泉老街にもかつての通りの姿が残されており、提灯の装飾が和風の雰囲気を醸し出しています。浴衣を着て温泉老街で写真を撮ったり、地元の有名な桶仔鶏(鶏のロースト)、山菜料理を味わったりすることができます。
關子嶺溫泉老街#001
天梯
好漢坡は段数が多く、段差も大きいため歩きにくく、安全性の問題もあります。そこで、台南市政府は好漢坡に通じる「関子嶺天梯と空中回廊」を建設し、環嶺歩道をより良く整備しました。ビル5、6階に相当する高さの天梯(上り階段)にのぼって緑豊かな山々を見渡すと、一味違う関子嶺の姿を見ることができます。

火王爺霊泉(温泉湧出口)
火王爺霊泉湧出口は関子嶺にあるもう一つの温泉湧出口で、宝泉湧出口とあわせて「台湾第一温泉」と呼ばれています。温泉湧出口は100年間変化し続けてきました。1968年には霊泉の源泉が干上がり、2013年に再び湧きましたが、現在もなお非常に不安定となっています。台南市政府は昔の霊泉の写真を頼りに霊泉の湧出口を修復し、火王爺廟の下方から関子嶺温泉の貴重な源泉を観賞することができます。

火王爺廟
1902年、日本人が関子嶺で温泉開発する際、平安を祈るため温泉湧出口の上方に不動明王の石碑を安置しました。しかし、日本人が台湾から撤退する際に、不動明王の石碑は持ち去られました。その後、地元民の寄付により不動明王の神像を模造して建てられた廟が現在の火王爺となっています。温泉に携わる人々は、絶えることのない温泉を祈願する祭事を毎年執り行っています。火王爺は関子嶺温泉の守り神と言えるでしょう。

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